『客枕夢遊錄』吉野

「櫻井り南すること半里、多武と爲す。…樓門を入れば、廟殿宏麗、未だ其の比を見ず。庭中一僧祝を見ず。潔浄塵無く、他祠の喧擾けんじょう錢をもとむると異なり。廟、大職冠鎌足公、及び其の子淡海公をまつる。…又十三層のとう有り。蓋し其の下、大職冠を葬ると云ふ。磴を下り總社に謁す。支院四十二有り。並びに清麗なり。余、嘗て京師諸寺に遊ぶに、未だ其の比を見ず。真に神仙境也。」
「町にして一銅華表あり。實に藏王北門と爲す。門前の旅館に入り、装を卸してまた出づ。以て前路の花を觀んと欲す。藏王堂に至れば、亦壯大にして、楹兩えいりょう人之を圍む。堂前櫻四株有り。傳へて言ふ、大塔王、手づから植う、と。未だ然るや否やを知らず。其の傍らに一鐵噐有り。形、釜鑊ふかく有って、古色鬱然たり。之を土人にただすに、以て塔尖の輪塔と爲す。塔今存せず。然れども牙を見て以て象の大を知るに足れり。」
かえりて實城寺に至る。寺は藏王堂の西に在り。謂ふ、南朝三帝の離宮と。宮殿なお其の遺制と云ふ。日まさに暮れんとし、旅館に還る。」(『客枕夢遊錄』三月二十三日)

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