『京華游錄』〈宇治・嵐山〉

「興聖寺に遊ぶ。道元禪師の創る所。永井信州の碑有り。林羅山の撰に係る。」(『京華游錄』三月九日)

「瑞應院に抵(いた)る。院、天龍寺に屬す。…園池の瀟洒、喜ぶ可し。適(たまたま)微雨來り、淡烟中、嵐山を望む。靄然として愛す可し。乃ち宴を南榮に開く。觴咏歡甚だし。」(同十三日)

「拂暁、復同じく嵐山に遊ぶ。…岸に循って行き、山足を渉る。徑甚だ隘く、猿貫して進む。花は頭上を覆ひ、香風は撲撲として衣裳に入る。…行くこと五六町にして、戸難瀬瀑に抵る。一小泉なるのみなれど、凄神寒骨、殆ど深山幽谷の想を爲す。又行くこと四五町、地、漸く上り、大悲閣に抵る。閣、角倉了以創る所にして、林羅山の碑在り。却立して望めば、嚮(さき)の花木、皆俯き見る可し。而して古木怪巌、水を夾んで錯立す。奇、言ふ可からず。」(同十四日)

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